Trainer Thumbnail
早稲田発、情熱と理論のファンタジスタ。
THE TRAINER logo with copy
LEGEND
澤木 一貴
東京都

FOCUS POINT

健康・機能改善
競技パフォーマンス
ダイエット・ボディメイク
調整系・ボディワーク
1 姿勢/歪みの改善
2 運動機能の維持
3 痛み/不調の改善
4 リハビリ後サポート
5 競技特化トレーニング
6 瞬発力系の向上
7 学生アスリート指導
8 持久力系の強化
9 ボディライン
10 ダイエット指導
11 バルクアップ
12 ボディケア/ストレッチ
13 ヨガ
13 ピラティス
13 産前産後ケア
CATEGORY

ダイエット・ボディメイク

ボディライン
ボディラインの美しさを重視した指導
ダイエット指導
食事指導を含む減量のサポート
バルクアップ
筋肉量を増やすための指導
コンテスト対策
大会出場者向けの指導/サポート

健康・機能改善

姿勢/歪みの改善
不良姿勢・骨格バランスの最適化
痛み/不調の改善
肩こり・腰痛などの改善を目的とした対応
運動機能の維持
中高年に向けた健康トレーニング
リハビリ後サポート
怪我・手術後などの回復期支援トレーニング

競技パフォーマンス

瞬発力系の向上
アジリティやスピード系能力の強化
持久力系の強化
持続性パフォーマンスや疲労耐性の改善
競技特化トレーニング
スポーツごとの特性に合わせた専用指導
学生アスリート指導
成長期の運動能力向上と怪我予防の両立

調整系・ボディワーク

ヨガ
呼吸・柔軟性・心身のバランス向上
ピラティス
インナーマッスル・姿勢制御力の強化
ボディケア/ストレッチ
徒手による可動域改善やケア
産前産後ケア
妊娠期・出産後ののボディサポート

PROFILE

1971年5月3日生まれ静岡県生まれ。トレーナー歴34年のベテランでSAWAKI GYMの代表取締役を務める。整形外科病院でトレーナー科主任を歴任し、リハビリ後の方からトップアスリートまで医学的根拠に基づいた指導を行っている。

LICENSES

株式会社SAWAKI GYM代表取締役BFRトレーナーズ協会理事非営利法人フードマネジメント協会理事一般社団法人メディカルトレーニング協会理事サワキジムアカデミーパーソナルトレーナースクール校長

MEDIA

書籍『体力おばけへの道 頭も体も疲れにくくなるスゴイ運動』(KADOKAWA)書籍『DVDでよくわかる! 姿勢がよくなる! 小学生の体幹トレーニング』(ベースボール・マガジン社)書籍『衰えた体がよみがえる 最高最善の運動』(大和書房)書籍『4週間で姿勢がよくなる! スタスタ歩ける! 長寿の体幹トレーニング』(大和書房)
IDENTITY
トレーナーインタビュー
澤木 一貴のストーリー画像 1
「そもそもトレーナーになるつもりはなかったんです」
早稲田の路地裏あるマンションを地下へと潜ると、そこには一見するとカフェのような空間が広がっていた。ハワイを想起させる爽やかでフランクな空気感。天井は高く開放感に満ちている。至るところにサーフボードが飾られており、色とりどりのプロレスのマスクも並んでいる。壁には大きなロゴマーク——SAWAKI GYMのシンボルである“太陽のもとで腹筋をする姿”が描かれている。 ここSAWAKI GYMは澤木一貴という男の“自由さ”が溢れている。トレーナー歴34年の大ベテラン。トレーニング器具が並ぶフロアには、気取らないフレンドリーな雰囲気が漂う。 「ここでオールナイトの忘年会もやるんですよ」 澤木は柔らかい笑みを溢す。ジムには総勢20人近いスタッフが在籍している。パワーリフターもいればリハビリを得意とする者もいる。キャラクターもバラバラだ。だがそこには不思議な統一感もある。澤木を中心とした“自由な空気感“に共鳴しているからだろう。 そんなベテラントレーナーはどんなキャリアを歩んできたのだろうか。 「そもそもトレーナーになるつもりはなかったんです」 高校時代の体重はわずか48キロで自ら“体力弱者”だったと語る。そんな彼がトレーナーとして確固たる地位を築くようになるまでには知られざる物語があった。 点と点が結びついて線になったとき、過去は今へと繋がるストーリーになる。さあ、奇想天外な澤木ワールドへ、ようこそ——。
澤木 一貴のストーリー画像 2
マジメ家庭からプロレスの世界へ
澤木は親戚一同が教員のいわゆるマジメ家庭で育った。大学在学時も地方公務員を目指して勉学に励む。だが受けたすべての自治体に落ちてしまった。失意の底に落とされた男は、思い切って吹っ切れることにした。 「どうせなら、やりたいことをやろう!そう思いました」 澤木が選んだのは大好きだった“プロレス”だった。一般公募があった全日本プロレスに迷わず応募した。プロレス全盛期の当時、なんと倍率100倍。500人に対して採用はわずか5人のみだ。 「自慢じゃないけど受かっちゃったんです」 超高倍率を勝ち抜いた澤木だったが、大好きなプロレスの世界は決して甘くはなかった。配属されたのは営業部だ。六本木にある事務所でキャリアをスタートさせた。 当時の看板選手は“黄金時代”の全日本を支えた四天王——三沢光晴、川田利明、小橋建太、田上明だ。 だが澤木の所属する営業部は華やかなリングの上からは程遠い現場だった。チケットはいつも完売状態。一般的な営業らしい仕事はなかった。それ以上に苦しかったのは人間関係だ。厳格な上下関係や理不尽な電話の対応。 「“俺だけど”って電話が来るんです。その一言だけで誰かを当てなきゃいけない」 まだ大卒1年目の新人にとってそれは恐怖でしかなかった。ミスは許されない。空気を読む力、察する力、そして耐える力。そうした“昭和のコミュニケーション術”が求められる世界だった。 巡業に帯同することもあった。飛行機での座席はスタン・ハンセンとアブドーラ・ザ・ブッチャーに挟まれる。プロレスファンなら垂涎ものの特等席だ。 「レスラーたちに遊んでもらえたのが救いでしたね」 それでも営業部の空気にはどうしても馴染めなかった。耐えきれず1年も経たずに退職することを決意する。それでも澤木はこの経験を“ムダ”とは言わない。 「人付き合いでは、ボケっとしなくなりましたから」 出版した本の多くもこの頃の人脈から派生している。大学の先輩が『週刊プロレス』の編集長を務めていた縁で、『ベースボール・マガジン社』で小学生向けの体幹トレーニング本を出すことができた。ひとつめの点はすでに今の澤木へと繋がっている。
澤木 一貴のストーリー画像 3
仕事のチャンスはチラシにあり
「2枚のチラシが人生を変えたんです」 地元の静岡に戻ってニートとフリーターを繰り返した。血液を輸送するアルバイトで生活を繋いでいた。ある日、バイト先の知人から一枚のチラシが手渡される。 「トレーナー募集とありました。興味本位で応募してみました」 結果、アルバイトとして採用される。気づけば若干24歳で店長に抜擢されていた。 「比較的ついてる部分があるんですよ」 翌年の25歳の頃。親からは「国家資格を取れ」と迫られる。勧められたのは理学療法士や介護福祉士。だが澤木の心は動かなかった。迷っているとまたもや友人が一枚のチラシを渡してきた。そこには『整形外科病院 スポーツトレーナー募集』とあった。チャンスだ。そう感じた。澤木はその直感を信じて静岡の整形外科に転職する。どんどん出世していき主任を務めるまでに成長した。順風満帆な生活だったがまだ東京への憧れは消えていなかった。 「東京はやっぱり輝いて見えてましたから」 そこで澤木は一通の手紙を書く。かつて静岡のジムで出会った上司の坂詰真二に宛てて、“東京で勝負したい”という熱い思いをぶつけたのだった。
澤木 一貴のストーリー画像 4
教壇からの“どん底期”
手紙を読んだ坂詰は“専門学校の講師”として澤木を招き入れる。担当することになったのは機能解剖学だった。最初の1年は静岡から新幹線で通った。トレーナー養成の基礎中の基礎だが、澤木がもっとも情熱を注いできたテーマでもあった。 安定した収入と身体にも負担の少ない講師業。1年目は受講する学生も多く収入も多かったと言う。だがそこには落とし穴があった。 「初年度は順風でした。でも翌年から学生が減って、その翌年も学生が減って……年々、収入が減っていきました」 学生の数が減るのと比例して澤木の給料も下がっていった。収入は目減りしていき小遣いは月2万円だったと語る。教壇で語っていた自信も実績も、砂上の楼閣のごとく崩れていく感覚があった。 また講師業に限界も感じていた。まだ2009年の当時。若い世代を育てていたはずなのに、その多くは卒業後に仕事に就けない現状があった。トレーナーとしての専門性を身につけても、社会のニーズがまだ一般化していなかったのだ。澤木は追い詰められていた。
澤木 一貴のストーリー画像 5
マインドの変革——そして起業へ
教員家庭で育った澤木にとって、仕事は“与えられるもの”だった。そう信じて疑ったことすらなかった。だが教壇での体験はその価値観を根底から覆した。努力しても、誠実に働いても、職が安定するわけではなかったのだ。 澤木はマインドを変革した。仕事を与えられるのを“待つ”のではなく、自ら“探しに行く”べきなのだ。 そう思った瞬間、彼の中に浮かんだのは、たったひとつの言葉だった。 起業——ゼロから自分の理想とするジムを作り上げるのだ。 思い立ってからの1年は、動きながらの準備期間だった。資金、物件、仲間、コンセプト、デザイン。やることは山ほどあった。心の準備にも時間がかかった。 すべてを整えた2010年。39歳にして澤木はSAWAKI GYM を立ち上げる。 「今から思えば、ちょうどいいタイミングだったと思います」 トレーナー業界がようやく社会的に認知されはじめた時期だった。パーソナルトレーナーという働き方が、世の中に浸透し始めていた。
点と点が線になる
奇想天外なキャリアを澤木は歩んできた。プロレス、整形外科、専門学校講師、そして起業。一見すると脈絡があるようには見えない。だが澤木は“すべて繋がっている”と信じて疑わない。 「点と点がまだ線になっていない人もいるかもしれない。けど後に必ず線になる瞬間があるんです」 プロレスへの情熱は今では出版物を出す際の人脈になっている。専門学校での経験は今も若手トレーナーの育成に活かされている。かつての点も今は一本の線として繋がり意味を持っているのだ。 SNSの利用方法についてもこんなふうに語る。 「“記録を残すためのツール”として考えてもいいのかもしれません。振り返ったときに膨大なデータになっているはずですから」 単なる集客のためではなく、自らの“点に自覚的になる”ためにも、SNSは有効な手段だと澤木は語る。 早稲田の路地裏にあるSAWAKI GYM。奇想天外な澤木ワールドは、さらなる点の向こう側へと続いていく——。
澤木 一貴のプロフィール画像
澤木 一貴
1971年5月3日生まれ静岡県生まれ。トレーナー歴34年のベテランでSAWAKI GYMの代表取締役を務める。整形外科病院でトレーナー科主任を歴任し、リハビリ後の方からトップアスリートまで医学的根拠に基づいた指導を行っている。

CONTACT FORM

トレーナーへのご依頼・ご相談をご希望の企業・メディア関係者様は、こちらの専用フォームよりご連絡ください。
Arrow Under
サイトアイコン
To the top