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美尻の裏には、研鑽された哲学がある。
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LEGEND
岡部 友
東京都

FOCUS POINT

健康・機能改善
競技パフォーマンス
調整系・ボディワーク
ダイエット・ボディメイク
1 姿勢/歪みの改善
1 痛み/不調の改善
1 運動機能の維持
2 競技特化トレーニング
3 産前産後ケア
CATEGORY

ダイエット・ボディメイク

ボディライン
ボディラインの美しさを重視した指導
ダイエット指導
食事指導を含む減量のサポート
バルクアップ
筋肉量を増やすための指導
コンテスト対策
大会出場者向けの指導/サポート

健康・機能改善

姿勢/歪みの改善
不良姿勢・骨格バランスの最適化
痛み/不調の改善
肩こり・腰痛などの改善を目的とした対応
運動機能の維持
中高年に向けた健康トレーニング
リハビリ後サポート
怪我・手術後などの回復期支援トレーニング

競技パフォーマンス

瞬発力系の向上
アジリティやスピード系能力の強化
持久力系の強化
持続性パフォーマンスや疲労耐性の改善
競技特化トレーニング
スポーツごとの特性に合わせた専用指導
学生アスリート指導
成長期の運動能力向上と怪我予防の両立

調整系・ボディワーク

ヨガ
呼吸・柔軟性・心身のバランス向上
ピラティス
インナーマッスル・姿勢制御力の強化
ボディケア/ストレッチ
徒手による可動域改善やケア
産前産後ケア
妊娠期・出産後ののボディサポート

PROFILE

1985年12月6日神奈川県生まれ。自ら考案したメソッドで日本女性の心と体を変えていくことを使命としパーソナルトレーナーとして活動している。株式会社ヴィーナスジャパン代表取締役社長。

LICENSES

NSCA-CSCS 公認コンディショニングスペシャリストACSM-CPT 公認パーソナルトレーナー分子栄養医学健康指導士アメリカスポーツ医学公認スポーツトレーナー

MEDIA

書籍『美尻トレ 究極のヒップメイク』(文藝春秋)書籍『筋トレが折れない私をつくる! 』(宝島社)書籍『桃尻トレーニング 30days 』 (主婦の友社)書籍『マンガでわかる 超・美尻革命! 最高のボディはヒップメイクから生まれる』(大和出版)書籍『美尻バンドトレーニング』(講談社)放送『プロフェッショナル 仕事の流儀』特集(NHK)他多数
IDENTITY
トレーナーインタビュー
岡部 友のストーリー画像 1
「トレーニングって生き方を変えられるんです」
美尻のカリスマ、強く美しい女性の体現者ーー。 岡部友の名を聞けばそんなキャッチコピーを思い浮かべるだろう。テレビ・雑誌・SNSで見るその姿は確かに衆目を浴びる。キラキラと眩しく輝く憧れの存在。誤解を恐れずに言えば“映える”トレーナーだ。 だが実際に青山のジムを訪れて、岡部から話を聞いていくうちに、メディアでの形作られたイメージとは少し違った印象を受けることになる。もちろんいい意味で、だ。 岡部は真剣な眼差しで語る。 「トレーニングって生き方を変えられるんです」 そこにいたのは単なる“美尻トレーナー”ではなかった。ボディメイクを語るその目は、ひとつの理念を追求してきた人の深みがあった。 岡部友が追い求めるトレーニングとはなにか。鍛えることで手に入るものなのか。それとももっと先にあるものなのか。 ずっと“女性の美”を追い求めてきた。そこには確固たる哲学があった――。
岡部 友のストーリー画像 2
逆輸入されたトレーナーとしての理念
「フロリダのことを思い出すと、今でも鳥肌が立つんです……トラウマみたいな感じですね」 そう語る岡部友の笑顔にはかつての苦しみが影を落としていた。高校時代は勉強もスポーツもできた。スポーツ一家で育った彼女は大の負けず嫌いだ。陸上部では400Mハードルの選手として結果も残した。 「卒業後はそのままフロリダの大学に行きました」 すべてはゼロからのスタートだった。英語がまったく話せないまま岡部はアメリカへと渡った。目指すはNATA-ATC。スポーツ現場で求められるアスレティックトレーナーの最高峰の資格だ。 だがアメリカ生活の現実は想像を超えて厳しかった。課題はすべて口頭で出される。そもそも指示すら聞き取れないのだ。英語がわからない。それは学ぶ資格すらないと見做されてしまうようだった。周囲からの扱いは冷たかった。 「先生に“あなたの問題は英語なら、それは助けられないよ”って突き放されたんです……でも逆に火がつきましたね」 日本の大学生では味わえない挫折だろう。ぞんざいに扱われる毎日だったと岡部は述懐する。フロリダという土地柄、白人の富裕層の中で浴びた差別の視線。それでも岡部はカフェイン中毒になるほどコーヒーを飲み、震えるような集中力で勉強に打ち込み続けた。やがて彼女は試験でも満点を連発して信頼を勝ち取っていく。しまいにはノートチェックすら“顔パス”だった。 成績の向上で身についた自信はコミュニケーションにも変化を及ぼした。 「最初は自信がなくて声が小さかったんです。でもアクセントが違っても、発音が下手でも、大きな声で話せば通じるって気づいた瞬間、世界が変わりました」 そんな過酷な経験が岡部の理念の土台になっている。久しぶりに日本に帰国した岡部は同級生と会う。そのとき感じたことは後の岡部の指針になっている。 「“いい大学に入って、いい男を見つけて、人生上がろう”みたいな空気がどうしても合わなかった。だったら私が変えてやろうと思ったんです」 トレーニングを通して女性の心に革命を起こすーー。 異国で学んだからこそ見えてきた“日本の慣習的な価値観への違和感”によって岡部の理念は生まれた。トレーニングは単に見た目を磨くだけではない。岡部はトレーニングを通して“自立心”を育むことの意味を強調する。 
「人は集団の中で助け合ってしか生きていけないものです。でもそのために誰かに媚びを売ることは、自分を押し殺すことにもつながります」
 集団の中で互いに認め合う関係性を築くためには、“自立心”を持った個人であることが前提となってくる。たとえ意見の相違や共感できないことが生じた際にも、互いに個々として自立していれば、“違う”という事実を認め合うことができるはずだ。トレーニングは自立心を育んでくれ、ひいては集団で個人が認め合う関係性を構築してくれるのだ。
岡部 友のストーリー画像 3
保証ゼロからの美尻革命
マンションの一室に不思議な噂が立った。なぜかいつも同じフロアでエレベーターが止まっている。朝も夜も見慣れない女性たちがそのフロアへと吸い込まれていく。 その場所こそ岡部友が22歳で立ち上げた“女性専用トレーニングジム”の原点だった。 フロリダ大学から帰国した直後。日本にはまだ“女性専用トレーニングジム”がほとんど存在しなかった。果たしてトレーナーとして食べていけるのか?不安に駆られる岡部に母は静かにこう声をかけた。 「食べる物と帰る家はある。それならあとは頑張りなさいって。それで背中を押されました」 今でこそ“美尻のカリスマ”と呼ばれる岡部だが、スタート地点はまさに無保証だった。トレーナーとしての実績も、知名度も、資金もない。物件を借りようにも信用が足りず父親に名義を頼み込むことから始めた。 最初は朝と夜にひとりずつ予約が入るだけ。手持ちの知識と情熱だけが武器だった。手の空いた岡部はこの頃から毎日ブログを更新し続けた。アメブロに綴られる文章は派手さよりも真摯さを貫いた。女性が変わるために筋肉の知識も、栄養も、心理もブログから届けた。 トレーニングを通して女性の心に革命を起こすーー。 そのためにできることはなんでもやるようにした。すると彼女の行動力が転機をもたらす。岡部はゴールドジムの手塚栄司社長になんと直談判までしたのだ。 「“日本の女性を変えたい”って、真面目に書いたんです。まさか返事が来るとは思いませんでした」 手塚氏は実際にジムを訪れて驚いたという。 「ヨガみたいな感じかと思ってたけど、本格的だね!って言われたんです」 その言葉を契機にジムは雑誌で紹介され客足が一気に伸びた。ジムのあるマンションに噂が立つほどだった。岡部ひとりでは手が回らなくなり、より多くの女性を迎えるためジムを組織化する。次なる野心に向けて岡部は手塚にこう伝える。 「ゴールドジムの“女性版”を作りたいんです!」 しかし手塚氏の返答は冷静だった。 「フィットネスの経営と、トレーナーの仕事はまったく別物だ。まずここで小さく練習してみなさいって言われました」 だがその代わりに与えられたのが青山のゴールドジムの一部を任されるチャンスだった。そこで岡部はトレーナーとしてだけでなくリーダーとしての第一歩を踏み出す。信頼も、収益も、経験もなかった。だが“女性の身体と心を変える”という信念だけはずっと揺らがなかった。 「失敗したらゼロになると思ってた。でも経験はゼロにならないんですよね」 たったひとりで始めた革命は、少しずつ、それでも確実に広がっていったーー。
岡部 友のストーリー画像 4
マシンに込められた想いとは
岡部のジムの空間の中央に鎮座するのは見慣れたダンベルやバーベルではない。日本ではほとんど見かけない海外製の特殊なマシンの数々だ。選び抜かれたそのマシンにももちろんストーリーがある。 「スクワットじゃダメなんです。脚が太くなる。でも尻に効かせたいんです」 まだボディメイクという概念すら一般に浸透していなかった時代。フィットネスは「痩せればいい」「数字が減ればOK」という神話の支配下にあった。岡部は考えた。痩せるだけでは女性の身体は美しくならない。個人個人のフレームに適した身体を作る必要があったのだ。 岡部が注目したのが、“尻”だったーー。 「25歳でした。当時はまだ世間では“お尻を鍛える”という発想はなかったと思います」 お尻ならスクワットという発想しか当時はなかった。スクワットでは脚の前ばかりが育ってしまう。女性のお尻は丸くしたいが、脚が筋肉で太くはなりたくないという理想がある。どんな種目なら大臀筋だけを狙えるのか? 岡部が行き着いたのがヒップスラストだった。自らの身体を使って実験した。毎日10セットのヒップスラスト。フォームや負荷を変えてひたすら最適解を求めた。 その研究心は海を越える。ドイツのフィットネス展示会で見かけた一台のマシン。それは岡部の理想に限りなく近かった。「これの良さ、わかってくれるのか?」とマシンの開発者とすぐに意気投合した岡部。即決で輸入を決意する。このマシンを使いたい。そのためには法人として輸入しなければならなかった。そうして生まれたのがSPICE UP FITNESSだ。 「会社経営ももちろん大切ですが、それよりも私は、お客さんとレッスンしている時間の方が楽しいんです」 お客さんに最高のレッスンを届けたい。そんな強い想いがマシンには込められている。
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変わらない身体を知ることの哲学
「筋肉は裏切らない。だけど人生は裏切るんです」 そう静かに語る岡部友の言葉にはっとさせられた。筋肉を鍛え、美を作り、女性たちを変えてきた彼女が、あえて口にしたのは“限界”についてだ。 それはボディメイクがすべてを変えられる魔法ではないというある種の逆説でもあった。 「トレーニングには“B面”があるんです。鍛えることは、変わること。でも同時に、“変えられない部分”と向き合う作業でもある」 岡部は体型を整えることの意義を否定しない。だがそれ以上に伝えたいのはの変わらないことの重要性だった。どれだけ鍛えても骨格や身体の形、生まれ持った個性は変えられないのだ。それに気づいたとき人は初めて“自分を認める”という段階に進めるのだと岡部は語る。 「そのとき初めて“自己受容”が始まるんです」 筋トレは結果主義だと思われがちだ。だが岡部にとってはむしろ結果よりも“過程”にこそ意味がある。思うように変わらない現実。他人と比較して感じる自己否定。そういった人生の壁にぶつかったとき、すでにトレーニングを通じて“努力では変えられない現実”を知っていた者は、少しだけ心が強くなっているはずだ。 
“自己受容”ができた人間は強い。今度は“変えられること”に集中することができるからだ。努力では“変えられないこと”は人生にもトレーニングにも必ずある。それを執着せず受け入れたとき、人は次のフェーズへと進むことができるのだ。
じゃあ、やってみる?
「わたしたちトレーナーは黒子なんです。お客さんが前を向いて歩けるようになるための黒子です」 若手のトレーナーに求める意識を尋ねると、岡部はそう言って笑う。キラキラしたキャリアやイメージからは想像できないほど、そのスタンスは控えめで献身的だ。すべては目の前の“お客さんのため”であり、その時間が岡部にとっても最良の時間である。取材のときもそんな彼女のトレーナー像が伝わってきた。ジムの奥に鎮座するヒップスラストマシンを眺めていると、岡部から自然にこう声をかけられた。 「じゃあ、やってみる?」 たったそれだけの言葉に岡部の本質が詰まっている。教えることが目的ではない。人を変えることが目的でもない。あくまでその人自身が“変わろうとする”瞬間に、ほんの少しだけ背中を押すこと。 「トレーニングは自分を受け入れることなんです。それが生きやすさにも繋がってきます」 どんなに鍛えても変わらないものがある。だが変わらない自分を受け入れることはできる。そして自分を受け入れられた者は、他者のことも受け入れることができるようになる。誰かを愛したり、社会へ貢献するマインドすらも、まずはもっとも近い存在である“自分自身を受け入れること”からスタートしているのだ。 
岡部友が追い求める“本当のボディメイク”は、鏡の中だけにはとどまらない。トレーニングは自らを肯定的に捉えられるようになる長い長い心の旅でもあるのだ。
岡部 友のプロフィール画像
岡部 友
1985年12月6日神奈川県生まれ。自ら考案したメソッドで日本女性の心と体を変えていくことを使命としパーソナルトレーナーとして活動している。株式会社ヴィーナスジャパン代表取締役社長。

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